嵐が活動休止をして安心してしまった


私がはてなブログを開設して2年が経ったそうです。はじめてブログを書いたのは初めて札幌に行った時、それはもちろん嵐のコンサートに行った。

言葉の隅から隅まで痛い、痛いよお。

札幌レポを書いてる途中で更新飽きてました。レポくらい最後まで書ききれば良かったのに。もう続きなんて覚えていないよ。


すごいどうでもいいですね。


でもそんなことを考えてないと気がそわそわして落ち着かないのです。


20時にバイトが終わりました。LINEを開いてみると近しい友人から連絡が入っていました。


「まさか嵐がね。」


その言葉で一瞬で何があったのか悟りました。


良いニュースではなさそうだな、と。


大変申し訳ないのですが、私は公式発表もまだみれてません。様々な媒体が報道するものにも触れておりません。


ただ困惑して母親と電話をしていたので母親からの言葉が私の得た情報です。


1週間くらいはなにも見ないと思います。気が漫ろになってしまい、何も手がつかないと思うから。


本タイトルは「嵐が活動休止して安心してしまった」です。


何故、安心したのか、私のことについて少し理解を深めないと、身勝手な言葉が独り歩きしてしまいそうなタイトルです。身の上のことを話させてください。そう嵐と私について。


私は謂わゆる嵐絶頂期10周年からのオタクです。今までなりふり構わず嵐だけを見て生きてきました。


中学、高校時代は嵐のためにお小遣いは使いました。何でもかんでもずっと嵐でした。好きな落書きも全部嵐。携帯のプロバイダもauにしたし、広告するものは全部嵐で身の回りを揃えていました。日産のディーラーにだって足を何度も運びました。車買わないのに迷惑な客ですね。

大学は上京し、嵐との距離感も近くなりました。たくさん番協に足を運びました。月1で嵐を生で拝見していました。家に録画機器がなかったので、毎日毎日母親に連絡してあれ録画してこれ録画して、と。実家に帰れば嵐の番組を編集して、毎朝智くんのラジオを聴くために起きて、毎週のTV誌を購入して、、、そんな生活を好きになってからずっと繰り返していました。2016年のAre You Happy?までは。


私はAre You Happy?の公演を幸運にも6公演入ることができました。札幌、名古屋、東京4回。それはそれは毎公演楽しかったです。


全てのコンサートが終わった後に漠然とした不安に駆られました。


「私の心の支えである嵐がなくなったら、潰れてしまうのではないか?」


嵐は年2回のイベントペースです。1月でコンサートが終わったあと会える機会が無くなります。その期間何もないことが不安になりました。


加えて熱愛報道が連続して週刊誌へ取り上げられました。どんなガセネタであっても、ファンは一つ一つに精神を削られます。


毎日テレビを観る、毎クールドラマを見る、毎週バラエティを観て、ゲスト回も観て、今日は何の収録があって、大体この時期からアルバム作ってるかな?そんなことまでずっと嵐のことを考えていた自分は、ふと嵐がなくなった時にどうなってしまうのだろうか、自分の生きがいが嵐しかない状態にどことなく不安を感じました。大好きが故の不安です。


加えて10周年から好きになった、という後ろめたさをどこかずっと抱えて生きていました。

嵐の活動を完璧に追わなくてはならない、全部全部完璧にこなさなければならない。

一つ番組を撮り逃すだけで、癇癪あげて泣きました。それはそれは当時は悲しいものでした。

完璧にこなさなければ本当のファンじゃないって思っていました。嵐のファンだって大きな声で言うための自分なりの誠意でした。10周年からハマったということもあり、確実に遅れをとっていると感じていました。



一昨年の1/31。女性向けソーシャルゲームサービスに手を出しました。そのことをきっかけに嵐の活動を完璧に追うことを辞めました。



嵐の活動を完璧に追うことは私の中で義務となっていました。それをしなくなったら、とても気が軽くなりました。


嵐の活動を完璧に追うために、他のコンテンツに手を出すのを意図的に諦めていたところもあったので、新しい世界に触れることが出来、知らない世界を知り、とても充実した2年間でした。今日の今日までです。


それでも嵐を完全に離れたわけではありませんでした、嵐は好きで離れました。嫌いになって離れたわけではありません。


よく私を知っている人からは「嵐ファン辞めたの?」と、聞かれました。


私はお門違いなこの質問に嫌気がさしつつもいつも「嵐があまりにも好きすぎて、心の支えが嵐しかないことに不安を感じていたから、嵐から離れたんだよ」と説明を続けていました。誰にも理解されなかったですが、今日やっと理解される言葉になったのも皮肉ですね。


一番好きが嵐だけだったのが、二次元コンテンツにも声優にも広がり、一番が乱立している状況になりました。それでも嵐は大好きですし、毎年欠かさずツアーに参加し、番協に参加し、アルバム、ライブDVDは通常初回の2枚を買っていました。これには日ごろの活動を追えないという償いの気持ちもありました。


嵐を追うのを辞めた、といっても嵐のことはめちゃくちゃ追ってたと思います。一般の人からしてみれば。


なので、この2年間はとても幸せでした。嵐のことを考えなくても良くて。とてもとても幸せでした。


その反面、いつか来るかもしれない、何かがあるかもしれない。そういう風に思わされてた2年でもあったので、ビクビクしながら生きてきました。


さっき母親にも言われましたが「ずっと危機感感じながら生きてたけど、ここ2年は特に怯えながら生きてたよね。」


他のコンテンツで心満たされながらも、どこか自分の好きなものが、嵐が、いつかなくなってしまうのではないか、そういう怖さを抱えながら生きてきました。Twitterで検索かけても嵐が好きな人は能天気に嵐への愛を叫んでいる人しかいませんでした。私はずっと怖かったです。


特にジャニーズ事務所に何かがある度に私はずっと怯えていました。そんな時でも他の嵐が好きな人たちは嵐を引き合いに出して、「でもトッポは良いよね、最後までチョコたっぷりで」みたいな事を言うのがとても嫌でした。


友人に何かのオタクが多いのですが、その友人たちの推しに何かがある度に「明日は我が身。後悔しない選択をしよう」と思ってきました。

なので特に後悔はないですが、当事者になって思うのは、友人に「明日は我が身だね」と声をかけてきた事がとても無神経だったな、という事です。私には今日推しが推しでなくなったのに、お前には関係ないよなって話です。幸せの主張、愚の骨頂です。各所本当にすみませんでした。ただ当事者になり思うのは「本当に明日は我が身だから、会えるうちに会っとけよ」です。推しが自殺をしてしまったところに立ち会ったことがあります。なんて声をかければ良かったのか、何を声かけたのか覚えていませんが、その友人から連絡が来ました。とても心強かったです。


少し話が脱線しましたが、特に5×20が発表された去年の6月からのand moreは特に怖かったです。そして5×20のライブ。完璧でした、もうこれ以上のものは見られることのないと思っていた。そう。完全なものだったんです。


これからこの人たちはどこに向かっていくのだろうか、こんなに幸せな気持ちを享受させられて私たちは良いのだろうか?こんなに幸せで本当に良いのだろうか?私はライブが終わった後にそう思っていました。その漠然な幸せからくる恐怖に理由があって、逆に私は安心してしまいました。


そう、終わりに向かってたんです。


やっと、漠然な恐怖が形になったんです。とうとう。嵐が活動休止という形で。


何だか肩の荷がおりました。ずっとよくわからない漠然とした恐怖から私は解放されたのです。やった。よかった。もう怯えなくても済む。もう私たちは2年後の活動休止を受け入れるしかないんだ。



生まれてはじめて好きになったコンテンツは嵐でした。生まれてはじめて終わるコンテンツも嵐です。


幸運なことに私は2年かけて気持ちの整理を付けていました。私の主軸が嵐だけじゃなくなったことから。嵐に対する漠然な不安に保険をかけて保険をかけて生きてたら、その保険を利用する羽目になってしまいました。こんな形で使うことは本来望んでいませんでした。


ですが不幸中の幸い、保険ってのはそういうものですね。


まだ私には心の支えが沢山あります。なので今落ち着いて冷静にいられますが 、2015年の事件の後は1〜2週間は喉に物が通らず、感情が不安定だったので、その状況にならなかったのが良かったなと思います。


今まで後悔しない選択をとり続けてきたことも私に整理を付けさせていると思います。


終わらないコンテンツなんてないんだ、それを実感したら涙が止まらないです。


多分まだ私は公式動画を見れてないから、周りが騒いでいるのを俯瞰してるだけだから、まだ現実味がないんですよね。


話がまとまらないですね。


とりあえず思うことはここまでに。


現実味が沸いたらまた追記します。